建武館では今年おめでたいことが2つ重なりました。
館長先生は昭和12年2月4日生まれの丑年。つまり年男です。
もう一つは私たちの稽古している建武館が創立からなんと
50周年を迎えるということです。
50年というと半世紀。カラーテレビ?はありました。洗濯機?
は二層式が主流。電話はなくて…有線でしたね…うちは店を
していたので「33回線の10番さん!33回線の10番さん!」
と交換手の人の声が聞こえて…となりのおばさんとかを呼びに
行った覚えがあります。ゲーム?パソコン?そんなものはまだ
まだなかった頃の時代です。その頃どんな思いで建武館を作っ
たのか…館長先生のお話を聞いてみましょう。
昭和44年私(館長)は川崎に住んでおり、3人の子供たちは
小児結核・小児喘息等、公害のため全員病院通い。
生後3か月の子供は命に係わる程でした。
そんなある日、社員旅行でのバスガイドの声、
「この辺は空気が良く、自然に恵まれ、長生きをする人が多い
ので、長生郡長生村と呼ばれています。」
この言葉で早速土地(松林)を購入し転居。
間もなく子供たち全員がたちまち健康を回復!
その後、地域に恩返しをするつもりで武道を通じて将来を担う
子供たちが、粘り強く・信念の強い・優しい人として、
明るく元気に育ってほしいと思い、
ビニールハウスの道場を開いたのが始まりでした。
日本真心流、そのルーツから
<合気拳法・杖術・棒術の流れ>
清和天皇第六皇子 貞純親王
幼児近江江國大東之館 新羅三郎義光
武田冠者義清
大東流開祖 大東久之助
武田流三十五代
大東流仲興祖 武田惣角正義
(植芝流開祖 植芝盛平宗高)
八光流開祖 奥山吉治
真心流開祖 菅野善光菅原静山(カンノキコウスガハラセイザン)
新藤藤原磐山(シンドウフジワラノバンザン)
※神前に掲げている書のうち、左にあるのが
真心流(前)宗家菅野静山先生による教えです。
<居合道・杖・真剣刀法の流れ>
影流・陰流の始祖 愛州移香齋(アイスイコウサイ 1452~1538年没)
室町・戦国時代の兵法家。
香取神道流開祖 飯篠長威齋(イイザサチョウイサイ 1387~1488年没)
「香取の剣・鹿島の剣」を元にし、それまで決まった「型」
の無かった武術の世界において、百般に亘る武道の原型を
体系化した。
飯篠長威齋家直の門人 松本備前守
(マツモトビゼンノカミ 1466~1524年没)
鹿島神宮祝部四宿老の一人。備前守は一之太刀を頂点と
する武道大系としての鹿島神流を完成。
新陰流開祖 上泉伊勢守秀綱
(カミイズミイセノカミヒデツナ 1508~1577年没)
秀綱は、愛洲移香の「陰流」に「神道流」の奥義を加え、
青眼の構えを基本とする「神(新)陰流」を考案。
柳生新陰流開祖 柳生石舟斎
(ヤギュウセキシュウサイ 1527~1606年没)
上泉伊勢守からその道統を継ぎ、流派を大成。
神影流開祖 奥山休賀齋 (オクヤマキュウガサイ 1526~1602年没)
上泉秀綱に師事。徳川家康、22,23歳の頃、急加斎を
岡崎へ招いて7か年学んだ。
神道無念流開祖 福井平衛門嘉平 (フクイヘイエモンヨシヒラ 1782年没)
鐵仲流開祖 赤松独歩齋鐵仲 (アカマツドッポサイテッチュウ)
無想神伝流開祖 中山乙吉搏道 (ナカヤマオトキチハクドウ 1958年没)
1902年、免許皆伝を得て根岸の養子となり、
神道無念流・有信館を継承。
名人位、昭和の剣聖と謳われ別称「根岸資信」
真心流開祖 菅野善光菅原静山 (カンノキコウスガハラセイザン
1980年没、法名高岳院善光道顕居士) 建躬舘館長
現在、真心流宗家 新藤藤原磐山 (シンドウフジワラノバンザン
1937年~) 現、建武館館長
~創立20周年の大会は、川崎の本部道場の師範の先生方にも
ご来場いただき、盛大に行われました。~
<綜合武道とは>
合気拳法に杖道に居合道(真剣刀法含む)と「そんなに多くの技は覚えられない!」
と言われる方もいらっしゃいますが、綜合武道ではすべての基本は同じと考えます。
その時が素手か刀か、棒かの持ち物に応じて使いこなせる技が違うだけです。
入門してきた方にはまず、本人の興味に応じた練習をしていただきますが、
練習を通じて次第に「全てに共通」であることがお分かりいただけると思います。
当、日本真心流のルーツである飯篠長威齋開祖の香取神道流は、 軍法・剣術・薙刀・槍などを含む総合武術です。
昭和46年に開かれた建武館の門人は、現在900名を超えています。